望雲の昔

湯けむりにふすぼりもせぬ月の貌
小林一茶

この句は江戸時代後期に活躍した俳人、小林一茶が、望雲七代目を訪ね、再会を喜び呼んだ一句です。
当館七代目は雲嶺庵露白と号して地方文化を支えた俳人でした。
一茶とは親交が深く、この句では、湯けむりの向こうに見える旧友・露白の顔と月をかけて詠んでおり、
再会と温泉をしみじみと楽しんでいる様子が伝わってきます。

また、弥次喜多珍道中でおなじみの十返舎一九も望雲を訪れ、その様子を「上州草津温泉道中」に記しています。
きっと弥次さん喜多さんも、当館の湯で旅の疲れを癒したことでしょう。

近代では、高村光太郎が妻・智恵子を伴って当館に逗留。
妻を思いやる光太郎は、智恵子が草津を好み、滞在を喜んでいた様子を手紙に書きとめています。
大正昭和と活躍した歌人、斎藤茂吉も当館に逗留したという記録が残っています。

多くの文化人が草津を愛し、泉質の高い温泉で疲れを癒してきました。
身も心も旅の遊山を堪能したであろうことは、彼らが幾度となく草津を訪れたことが証明しています。
一茶のように、湯けむりの向こうの、誰かと語り合いながら、旅の空に思いをはせながら・・・。

Photo

※上記写真説明
当時当館は湯畑に面して建っておりました。湯煙の向こうに見えるのが当館です。
(現在は湯畑より徒歩3分ほどの高台に移動しております。)


望雲パンフレット

明治後期の望雲パンフレット
明治後期、草津を訪れた外国の方の多くが、当館にご宿泊されました。
そのためパンフレット自体がめずらしい時代に、英語のパンフレットを用意しておりました。